編集手帳の考察#32

「大巧は拙なるが如し」

すごい技術を持って、そして技術を極めている人は、

小細工を用いないから、見かけは下手なように見える。

本当だろうか?

凄腕の人は、普段でもすごいよってオーラを放っているように思う。

落語の世界にも当てはまる。

昭和の名人と言われた、六代目 三遊亭円生

その話術、舞台の上で披露する芸は、素人目にもすごさがわかったらしい。

とても巧みに言葉を選び、話を進めていく。

その円生の芸に対して、

上手いし、すごい だけど、心を揺さぶられない。

なんて評した人がいる。

柳家小三治 

円生についてもだし、カラヤンについても同じような評価をした。

カラヤンといえば、クラシックの指揮者の中でも

技術を高め、ファンを熱狂させてきた。

その歴史に残る大指揮者に対して、血が通っていない。

そう評した噺家の目指した境地にブレは無かったのだろう。

そして、人間国宝にもなった。

その噺家が亡くなった。

一つの時代が終わったのだろう。

私も時代を作ったと評されることができるだろうか?

何によって? どのような名目で?

まずはそれを考える所から始めよう。

今日はここまで

また明日頑張ろう@@

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