「大巧は拙なるが如し」
すごい技術を持って、そして技術を極めている人は、
小細工を用いないから、見かけは下手なように見える。
本当だろうか?
凄腕の人は、普段でもすごいよってオーラを放っているように思う。
落語の世界にも当てはまる。
昭和の名人と言われた、六代目 三遊亭円生
その話術、舞台の上で披露する芸は、素人目にもすごさがわかったらしい。
とても巧みに言葉を選び、話を進めていく。
その円生の芸に対して、
上手いし、すごい だけど、心を揺さぶられない。
なんて評した人がいる。
柳家小三治
円生についてもだし、カラヤンについても同じような評価をした。
カラヤンといえば、クラシックの指揮者の中でも
技術を高め、ファンを熱狂させてきた。
その歴史に残る大指揮者に対して、血が通っていない。
そう評した噺家の目指した境地にブレは無かったのだろう。
そして、人間国宝にもなった。
その噺家が亡くなった。
一つの時代が終わったのだろう。
私も時代を作ったと評されることができるだろうか?
何によって? どのような名目で?
まずはそれを考える所から始めよう。
今日はここまで
また明日頑張ろう@@